藤本 夕衣 准教授
共通科目
教員インタビュー
Q1
学生時代の思い出や打ち込んだことについて教えてください。
大学のあった京都は一人暮らしの学生が多く、よく友達と過ごしていました。移動は、徒歩や自転車。街中に飲みにいっても終電を気にせず、友達と夜を明かした日々が思い出されます。アルバイトもたくさんしました。最初のバイト先は、あぶらとり紙で有名な「よーじや」の祇園店で、他に、カフェやコンビニ、お好み焼き屋さん、塾講師、家庭教師など、随分と色々なことをしました。お小遣いのためにしていたことでしたが、人間関係で学ぶことが多かったと思います。私の通っていた大学は、当時、学生は自由に学ぶもの、本当の勉強は大学の授業ではなく自分でするものだ、といった雰囲気がありました。友人たちと読書会を開いたり、24時間開いているお店で部活のあとに皆で朝まで勉強したりもしていました。
授業のほうは、まだのんびりとした時代だったのですが、それでも、大学にはなにか特別な空気があると感じていました。90分間、ひたすら黒板に数式を書き続ける教員や、ダンテの『神曲』を原文でひたすら暗唱させる教員など、学生に分かるか分からないかはお構いなしに、それでも妙な熱量をおびた姿が印象に残っています。そうした授業を受けるなかで「学問って特別な世界なんだな」と感じていました。
あとは、将来にたいする漠然とした不安があったことも思い出されます。一人で過ごす夜は、マンションの屋上にあがって、大文字山を眺めながら「自分はどう生きていくのか」といった将来の不安から始まって「生きるってどういうことだろう」といったことを悶々と考えることもありました。自分と向き合うような時間もふくめて、大学生だからこその時間を重ねていたのだと思います。
Q2
先生が、ご自身の専門に取り組むようになったきっかけを教えてください。
私の専門は、大学論、特に教養など大学でしか学べないことの意味を思想的、哲学的に考えることにあります。ただ、そういう研究をしたいとずっと志していたわけではありませんでした。高校のころから、将来の目標やこれといった夢がなく「なぜ大学に行かなければならないのか」という疑問につまずいて、受験勉強もなかなか手につきませんでした。高校一年生のときに阪神淡路大震災があり、何か高校生の自分でもできないかと、学校を超えて高校生があつまって組織されていたボランティア?グループに参加し、ボランティアの企画や運営に携わりました。支援物資の整理、親を亡くした中高生のための募金活動などに取り組んでいました。どちらかというと受験勉強よりも、そうした活動で得た経験、特に社会的な課題は、複雑な諸問題の関係の網目にあることから学んだことが多かったように思い出されます。そのため、どの専門が学びたいという一つの領域を選ぶことができず、学びたい専門は決めきれなかったので、試験科目の都合や諸々の関係から、入学後転学部ができる大学の経済学部に入りました。入学後しばらくは、経済学部にいるなら、開発経済など途上国の援助に結びつく専門でも学ぼうかな、とぼんやり考えていました。高校時代のボランティア活動のなかで、半人前の高校生にできることは限られていて、逆に被災者に迷惑をかけてしまうこともあり、そのなかで「人のためってなんだろう、結局、ボランティアは自己満足?」といった疑問も抱きつつ、支援や援助といったことに関心をもっていました。
でもそのあと、一般教養でいろいろな授業を受けるなかで、だんだんと自分の関心が、経済よりも教育にあることが分かっていきました。支援を考えるのであれば、まず教育から、と。今振り返ると、ずいぶん拙い単純な考えだったと思いますが、当時は、自分にあった途が見つかったように思い、大学の転学部制度をつかって教育学部に移りました。
教育学部では、途上国などの教育問題を学びたいと思い、他国の教育について学ぶことのできる比較教育学を専攻しました。しかし、他国のことを学ぶうちに、自分が受けてきた日本の問題、とくに高校から大学にかけての教育問題に関心が戻っていきました。現代の日本の教育は、アメリカの教育制度や思想に影響を強く受けてきたため、まずはアメリカの高校や大学について学ばなければと考え、大学院への進学を決めました。その後、卒業旅行先のトルコで大きな交通事故に遭い、重傷を負いながらも生き残ったことをきっかけに、自分のみつけた課題をしっかり追究したいと考え、博士まで研究の途を志すことを決めました。
また、高校のとき個人的に小論文の指導をしてくださった倫理の先生に、思想や哲学的な考え方に導いてもらっていたこともあり、より多角的に自分のテーマを深めたいと考え、制度や政策ではなく、思想的、哲学的なところで考えていくようになりました。徐々に教育哲学や政治哲学などの分野に踏み込みながら、日米の大学教育の問題、とくに「教養」の意味や大学の存在意義を問う研究に辿りついたのです。
ずいぶんと右往左往してきましたが、結局、大学の存在意義を問うという意味では、高校のころから疑問だった自分の問いに導かれてきたと言えるかもしれません。
ずいぶんと右往左往してきましたが、結局、大学の存在意義を問うという意味では、高校のころから疑問だった自分の問いに導かれてきたと言えるかもしれません。
Q3
研究テーマの魅力や面白さはどのようなところにありますか。
私の研究は、大学の存在意義を問うところにありますが、大学を取り巻く状況は刻々と変化しています。私が学生のころ、大学院生のころ、大学での仕事をはじめたころ、そして今、と大学を取り巻く状況も大学に求められることも変わってきています。大学に居続けるなかで、そうした変化を肌身で感じてきました。急速な変化にさらされながら、自分のいる場の意義を変わらず問い続けるということは簡単ではありません。以前は、批判していたことに、自分自身が飲み込まれてしまうこともあります。逆に、自分が思想的、哲学的に考えてきたことを具体的な教育の場での実践に落とし込もうとすると弊害がでてくることもあります。理論と実践の往還というと紋切型ですが、研究で考えてきたことを問い返しながら、大学のカリキュラムのことや授業のことを考え、また逆に日々の教育活動に根差しながら研究テーマを深めることができること、それが、この研究テーマの難しさであり魅力であると考えています。Q4
学生へのメッセージをお願いいたします。
これまでお話してきたように、私の研究テーマは、「大学をめぐる問い」に根差しています。「なぜ大学に行くのか」と聞かれたら、就職のため、将来のため、と答えることが少なくないと思います。もちろん、それもとても大切な大学の役割です。皆さんが、大学で学び、考え、みにつけた知識とともに自信をもって卒業し、社会に羽搏いてほしいと思っています。ただ、大学という場の意味を思想的に考えると、大学は、直接、就職活動に役立つためだけにあるわけではないことが見えてきます。大学という場だからこそ触れることのできること、むしろ一見すると社会の役に立たないように見えること、たとえば哲学や歴史、文学や理論などを学ぶことが、ひるがえって社会全体を支えることになる、自分の人生の支えになる、ということがあるのです。ですので、皆さんには、「こんなことをして何の役に立つのだろう」と思うことに、あえて立ち止まって欲しいと思います。たとえば、日常でちょっと疑問に思ったことについて一度じっくり向き合って、その疑問を掘り下げる時間を少しでも取ってみてください。そうすると、きっとすぐに答えのみつからないような、より深い、哲学的な問いにぶつかるでしょう。そうしたら、その時に、本、できれば古典を手に取ってください。時代を超えて読み継がれてきた古典には、根本的、哲学的な問いについての様々な考えが示されています。自分の「今ここ」を揺さぶってくれる力があります。また、もしできたら、自分の問いについてかたりあえる友達も探してみてください。
もちろん、なかなかそんな機会は作れない、と思うかもしれません。私は、清泉で「初年次ゼミナール」や「初年次スタディーズ」など、主に、一年生向けの必修授業のコーディネーターをして、多くの先生方とともに授業を作っています。それぞれの授業で、皆さんが、身近なところから自分の問いをみつけ、本を読み、他の友達と助け合いつつ問いを深めていく場を作っていこうと取り組んでいます。根本的な問いに触れ、本を読み、そうしたことを分かち合える友達に出会うことができれば、きっと大学での時間が、人生の様々な場面で生きる、誰にもゆずれない生涯の糧になっていくと思います。
教員紹介
氏名 | 藤本 夕衣 |
フリガナ | フジモト ユイ |
職種 | 准教授 |
所属 | 人文科学研究所 |
取得学位 | 博士(教育学) |
学位取得大学 | 京都大学 |
専門分野 | 大学教育学、教育哲学 |
研究テーマ | 大学で学ぶ意義は何か? 大学は社会とどう関わるのか? 専門学校や就職予備校と大学は何が違うのか? そうした大学の存在意義を、おもに「古典」や「教養」という観点から考える。 |
所属学会(役職) 及び受賞歴 | 【所属学会】 教育哲学会 大学教育学会 【受賞歴】 俳人協会所属 句集『遠くの声』にて第43回俳人協会新人賞受賞 2019年 |
主要業績 | ?『古典を失った大学 ―近代性の危機と教養の行方』NTT出版 2012年 ?「近代性の危機とグレート?ブックス論-レオ?シュトラウスからアラン?ブルームへ 」教育哲学会『教育哲学研究』第98号 1 ~ 19頁 2008年 ?「アメリカの文化戦争にみる哲学への問い」西山雄二編『人文学と制度』未來社 92~118頁 2013年 ?「グローバル化のなかの『大学』と『学生』-ポストモダニズム以後の『日本』と『古典』」大学教育学会『大学教育学誌』第37巻01号 16~20頁 2015年 ?「新しい時代の古典教育へ ―教養主義の終焉の後」佐藤卓己編『岩波講座 現代 第八巻 学習する社会の明日』 2016年 ?「「学問」と「ニヒリズム」と、その奈落-ウェーバーの学問論をめぐる舞台」『現代思想』2020年12月号 250~262頁 青土社 2020年12月 |
社会活動、 文化活動等 | ?文部科学省高等教育局大学振興課大学改革推進室「地(知)の拠点整備 事業選定委員会」ペーパーレフェリー担当 2013年 ?「よい授業と授業評価-教養の在り方をめぐって」 平成26年度北里大学一般教 育部FD研修会(北里大学) 2015年3月 ?「本を手に、大学でいかに学ぶか」『週刊読書人』共著 2016年4月8日 |